メデル株式会社

’天才少女’の育て方 登校しぶり、保健室登校、不登校からのV字回復

ほしゆみです。

私は小学6年生の女の子のママでもあります。

タイトルの ’天才少女’は、私がそう呼んでるわけではなくて。
とある女性起業家さんから名付けられたものです。

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’天才少女’ 不登校からのV字回復、一部始終
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娘は小4と小5の2年間、
いわゆる軽度の不登校でした。

朝、起きられない、
起きていてもダルくて動けない、
学校に行きたくない、という登校しぶりに始まり。

先生方やお友達の協力もあって、
なんとか学校に行くも、教室には入れなくて
保健室に登校して自習するような日々が続きました。

それでも、6年生の2学期は、なんと無遅刻無欠席!
担任の先生曰く「陽キャ、一軍」の本領を取り戻し、
楽しく学校に通えるようになりました。

その一部始終を綴ってみますので、
お付き合いくださいませ。

いま現在、不登校や登校しぶり、
保健室登校のお子さんのお持ちの
大人の方々の、何かのヒントになれば幸いです。

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目次:
・個性尊重の保育園時代
・小1の緩やかなのぼり坂
・予兆は小1の時から起きていた
・「学校に行きたくない」宣言
・「黒歴史」の2年間
・娘の転換期、そのとき母は
・パパはどこいった笑
・母を支えた師匠のことば
・娘の良さを引き出した「名将」の存在
・影の立役者である「おともだち」
・娘のV字回復、最大のポイント
・小6女子の100年時代のキャリア構想
・娘の自立、母の自立
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4年生の最後と、5年生の最初は、
コロナで休校になって、
「日本一ステイホームを楽しんでる」と言っちゃうくらい
学校に行かなくていいことにホッとしていました。
親娘ともども。

だけどそれが、娘の「黒歴史」に繋がるなんて、
あの頃の私たちには知るよしもなかったです。

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個性尊重の保育園時代
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そもそも遡ると、
娘は生後4ヶ月(2010.4)から「保育園っこ」でした。

当時、会社員ワーママだった私は、
娘を保育園に預け、カウンセリングの勉強や、
NPO 法人でのボランティア活動
(ワーママ向けワークショップのファシリテーター)
に精を出しておりました。

娘が9ヶ月の時(2010.9)に私が会社に復職。

翌年の4月からは、当時、新設だった、
「まちの保育園 小竹向原」に転園します。

https://machihoiku.jp/

イタリアのレッジョ・エミリア教育を礎とした
「子どもを一人の人間として尊重する」姿勢に魅力を感じ、
区の認可園の内定を蹴って!(なんともったいない笑)
通うことに決めました。

いわゆる「保育園ぽくない」キャラものとかいないステキな園舎で、
芸能人もお忍びで通う人気のカフェも併設!

という私のミーハー心をくすぐる要素しかない保育園。

↓めっちゃステキなんで、園の写真を見て欲しい!
https://machihoiku.jp/kotake/

そんなステキな園で、
個性豊かな保育士さんたちに、
たっぷりの愛情を注いでいただき、
個性を大切に育んでいただいた6年間。

娘が紡ぐ格言のようなことばや、
園庭で独唱した「翼をください」も、
「Sちゃんらしいねえ」って、
温かく見守ってくださいました。

今でも娘も、
「私はまちの保育園に向いてたよね」
って話しています。

私自身も、娘が2歳の時に、
会社員ワーママから独立の道を選び、
人生の転換期に、先生方に沢山励ましていただきました。

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小一の緩やかなのぼり坂
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小学校は地元の区立校に入学。

保育園からのお友達は誰もいなくて、
娘も私もいきなり「ぼっち」を経験。

それでも学童保育に運よく入れたので、
学童つながりのお友達ができていきました。

「うちは学童にも入れて18時まで預かってもらえるし、
保育園時代とあんまり変わらず働けるかな」

そう思った私が浅はかだった。

個性尊重で、時間の過ごし方も比較的自由だった保育園時代と比べ、
小学校は全員が時間割通りに生活をします。

毎日の持ち物をも変わるし、
娘が持ち帰ってくる大量のプリントの山!

小1の1学期は、慣れない小学校ライフに
母娘ともども、ちょっとした息切れを起こしていました。

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不登校の予兆は1年生から起きていた
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娘は「宵っ張りの朝寝坊」で、
1年生の時から、たまーに遅刻して登校することがあったんです。

でも、3年生になった時、
2年生の時の担任の先生に、
「もう遅刻しなくなったよ」
と笑顔で報告したくらいに、
一時は元気に学校に通えていたのですが、
転機は小4の5月に訪れます。

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「学校に行きたくない」宣言
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小4になったある春の日の朝、

「学校に行きたくない」

突然の宣告でした。

でも、私は「ついに来たか」
という気持ちでいっぱいだった。

なんとなくだけど、
娘が学校生活に違和感を感じていることを、
母である私は感じ取っていたからです。

そこから1週間の完全なお休みを経て、
養護の先生のお声がけもあって保健室に通うようになります。

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「黒歴史」の2年間
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そこからの小4、小5の2年間は、
母娘ともに割と地獄をみた日々でしたね、
今思うと。

朝、だるーーーい感じで起きてくる娘に
「今日は学校はどうするの?」から始まる朝。

行くのか休むのか、当日の朝までわからない不確定さ。

小学校って、遅刻早退の場合は、
保護者が同伴しなきゃいけないんですよ。

だから私の仕事も、
何時に始められるのか確定できない。

学校に行っても保健室でやっぱり帰りたい!
ってなっちゃう時もあったり。

とにかくね、毎朝娘と格闘して、
マイナスからスタートする日々が続きました。

もう朝からヘトヘトでした。

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娘の転換期、そのとき母は
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そんな娘を見て、解決思考の私がやったこと。

・担任の先生に相談
・同じ境遇のママ友に相談
・星詠みの師匠の鑑定に行く
・フリースクールを調べる
・山村留学を調べる
・行政の教育相談に連れて行く
・整体に連れて行く
・小児科に連れて行く
・子ども向けのメンタルクリニックに連れて行く

まあ、ありとあらゆる、
思いつき限りの「切り札」を切りまくったわけですよ。

でも、どれも効果はなかった。
それどころか、娘はどんどん学校にいけなくなって、
小5の後半はほとんど欠席だったんじゃないかな。

小6のスタートは、
「もうなす術がない」という
絶望から始まりました。

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パパはどこへ行った笑
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この話の中に、娘のパパが全然出てこないことに
違和感を感じていた方もいるでしょうか?

娘のパパこと、私の夫は、今でも実在します笑

朝早く出勤し、夜中遅くに帰ってくるサラリーマンパパは、
子育てのシーンにはほとんど登場しません。

いわゆる「ワンオペ育児」です。

娘が学校に行かなくなって、
夫婦関係も危機を迎えます。

「パパ:学校なんて行くもんだろ」VS「ママ:行きたくないなら無理に行かなくていい」

どんなにワンオペで忙しくても、
決裁権が自分にあって全部決めてよくて、
日々成長していく個性豊かな娘との日々は
楽しくて充実したものだったんです。

それなのに、
娘が学校に行かなくなった途端、
「学校なんて行くもんだろ」と
正義の刃を振りかざしてきた夫が許せなかった。

2019年は娘の不登校、夫婦の危機、
会社は3年目で盛り上がり始め、
PTA会長にまでなってしまって、
相当フルスロットルな毎日を過ごしました。

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母を支えた師匠のことば
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そんな仕事もプライベートもぐっちゃぐちゃな中、
毎年受けていた星詠みの師匠・まついなつき先生の鑑定に駆け込みます。

夫婦関係も、子育ても、もうお手上げ状態の私に
師匠が言ってくれたこと。

「学校に行きたくないなんて、めでたいことだよ!」

まついなつき先生のこのことばが、
辛かった時期に、どれだけ救いだったか。

先生の言葉はいつだって私の「お守り」だった。

夫婦関係についても、
私と夫の性質から適切なアドバイスをいただいて。

「野本さんはね、世代の代表になる人だよ。
小さくまとまるのが、一番ダメ。
アンチが出て初めてスタートだから」

鑑定の最後にそう言ってくださったことが、
職業人としての私の支えにもなっています。

詳しくはこちらの記事でも書いています。
https://ameblo.jp/nomoyumi-smile/entry-12572709075.html

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娘の良さを引き出した「名将」の存在
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娘が回復できた大きな要因のひとつは、
「担任の先生の立ち振る舞い」にあったと思っています。

2年生の時も担任だった方が、
6年生でまたご縁あって見てくださることなり。

もともと特別支援級の担任をしていた先生は、
子どもたちの個性を見出し、発揮させるのが、
とても上手な方なんです。

6年生になっても、
1学期は少し遅刻が見られた娘を、
先生はだいぶ煽った!そうです。

娘の負けん気の強さを知ってるから。
なだめるよりこっちでしょ!
という先生のカンは見事に的中。

学校に行けるようになった娘には、
どんどん「出番と役割」を与えてくれました。

娘はイベントの企画がとても好きで得意なので、
学校行事のリーダーに、といつも推薦してくれて。

自分の得意を活かせるようになって、
娘は本来のみずみずしい感受性を
取り戻して行ったように、私には見えました。

先生は母である私に対しても、

「娘さんがここまで回復したのは、お母さんの力でもあります。
だから、お母さんも自分で自分を褒めてくださいね!」

「大人が自分で自分を労う姿を、娘さんにも見せて欲しいです。
大人になったら自分でご機嫌を取れる人になってほしいから」

そんなふうに言葉をかけてくださいました。

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影の立役者、おともだちの「毎日ピンポン」
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娘が学校を休みがちになってから、
毎朝欠かさずあったのが「毎日ピンポン」

クラスメイトの女の子が、
毎日、毎日、来る日も来る日も、
朝の登校の時に立ち寄ってくれて
ピンポンを押してくれたんです。

一緒にいけない日がほとんどなのに、毎日です。

めげずに毎日来てくれるおともだちと、
それでも行かないを貫く娘の攻防戦でした笑

諦めないで来てくださったおともだちには、
感謝しかありません。

学校に行けるようになった今でも、
毎日ピンポンは続いています。

おともだちと一緒に嬉しそうに登校していく娘を
私も嬉しく見送っています。

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娘のV字回復、最大のポイント
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それはもうなんと言っても、

「娘自身の意識が変わったこと」

行きたい中学を見つけて、
将来の夢を見つけて、
それを叶えるためには「手段」として
学校に行く必要がある、

と娘自身が自覚をしたんですね。

親や先生やおともだちがどんなに働きかけても変わらなかった。

でも、本人の自覚が変わったら、
一気に現実は動いた。

6年生の2学期は、無遅刻・無欠席。

先生からも「学級経営の参謀」として、
「Sさんがいないクラス作りは考えられない」
と言ってもらえるまでに、V字復活を遂げました!

やったーーーーーー!

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小6女子の100年時代のキャリア構想
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完全復活を遂げた娘には
ずっと行きたいと思ってる学校があります。

なぜ志望するのか、
今まで漠然とした話は聞いたことがあったのですが。

先日、家族で焼肉を食べている時に、
突然に娘が口を開きました。

「私は将来は〇〇(某有名企業)に就職したい。
どうしてかというと、そこの商品が大好きだから。
商品がもっと売れるように、商品企画をしたい。
だから、この学校で学ぶ必要があるの。

そのために高校生になったら、
〇〇のショップでバイトをして、お客様の声を直接聞いてみたい。
自分の企画を通せるようにプレゼンの勉強もしたい。
その商品を通じて、「毎日にちょっと楽しい」を届けたいの」

これを聞いて、
私の子育てセカンドステージは終わったな、
と思いました。

ここまでマイワールドがあったら、
もう私にできることは、娘の邪魔をしないこと。

そして、学びのための軍資金を調達することくらいです。

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娘の自立、母の自立
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私は起業して、来年で丸10年を迎えます。
法人も5期目を迎えました。

ここまでは、娘の成長とともに、
緩やかに、でもやめずに、
ちょっとずつの右肩上がりの成長曲線を描いてきました。

でも、来年からは、仕事第一優先の私、に戻って行きます。

娘には娘の世界で、
ママはママの世界で、
それぞれに頑張っていこうね!

最近の私たち母娘の合言葉は、
「死ぬ気でやれよ、死なないから」笑

どこまでも鉄火な母娘のようです。

こんな私たちをこれからも温かく見守ってくださったら幸いです!

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

ほしゆみ

***
子育てにも占星術が使えますよ!
https://www.reservestock.jp/stores/article/24518/41663

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